HOOPAHOLICS(バスケ)     
Baskeball club

2005年 6月4日 10周年記念宴会 篠原(阪急六甲)
Hoopaholicsは、1995年の阪神淡路大震災のあと、5月6日に、最初は7人でスタートしました。

ぼくは遅れて6月か7月に、中学校からの腐れ縁の連れから「はやと、バスケせぇへんか?」と誘われて入りました。その後東京に転勤しても、タイミングが合えば練習に行って、忘年会だけには必ず参加しています。

10年も継続するなんて驚きです。それだけメンバーに恵まれています。当然のごとくフーパの中で知り合って結婚し、子供も産んでいるカップルもあります。むしろカップル&結婚率は異常なほど多いです。「フーパに入ったら妊娠する」という噂も嘘やないかもしれません。
この10周年パーティでは、会場となった篠原の2階で、子供たちが走り回り、フーパは大きい家族という感じがしました。

10年も経つと、20代だった僕たちも30代。みんなええ歳やなのにバスケなんて結構ハードなスポーツを続けてすごいなぁと感心します。当時からメンバーはどんどん入れ替わっていますが、それでも誰でも、どんなキャラの持ち主でもはまっていくのが、フーパの魅力です。

通称「フーパ」の正式名称はHOOPAHOLICSです。チーム名を決めたのも、ここ篠原です。危うく『オレンジドルフィン』や『みかん』、『やんちゃな子猫』になるところでした。『みかん』はその日の篠原のデザートに出てたからで、『やんちゃな子猫』は関西では有名すぎて説明いらんな・・・。HOOPAHOLICSはぼくが作った造語で、HOOP+AHOLICで、シュートしたがる奴ら、みたいな意味を込めました。

いよいよ10周年パーティがスタートしました。「乾〜杯!」、今日はすき焼きです。ここの肉はまじで旨いっす

席はくじで引いたんで、野郎だけになってしまった席は「どうやって作るん?」と見よう見真似で作るので、ぐちゃぐちゃです。すき焼きやから食える、食える。

懐かしの昔の写真がまわってきました。ぼくが当時発行していた『情宣』も誰かが持ってきていて、しょぼい記事の内容や写真に「うわ〜、みんな若ー」という反応です。

ここで、フーパ内結婚した新婚旅行帰り組みからカナダのお土産争奪戦が始まりました。勝利品はトロント、ビンス・カーターのウェアです。新郎とのジャンケンに<勝ったら残る。あいこと負けは座る>ルールでスタート。

しかし、新郎くん強すぎ。全員が何度も負けてゲームにならず!
いいところまで行って、最後に残った2・3人が一斉に負けてしまう。そんなことを繰り返して、いよいよ次こそは決まるか?!
何度目かのジャンケンで、最後に残ったのは2歳の女の子でした!「どえぇえーー」のどよめきと同時に「やった!」とその親が喜んびました。「よし!ビンス・カーターが自分のもの」と勝ち誇ってましたが、2歳の女の子はウェアに目もくれず、インドネシアのお菓子を選びました。「そうやんな。一番欲しいのはそれやんな〜」と、座は大爆笑でした!

10周年を記念したTシャツを配って、記念撮影をしました。

「じゃー今度はレディースだけで」
「どう見ても婦人会やん!」
「ほな野郎だけでも撮るか」

尽きることない楽しい10周年でした。

次は20周年!楽しみや〜。
ぼくはずっと長老として残ってやるぞ。ふっふっふ。

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