アルテピアッツァ美唄   
Arte Piazza Bibai

2017年 3月19日 安田侃の『こころを彫る授業』2日目

散歩するにも行くところがない。
町には人がいない。

部屋は落ち着かへんし、浅い眠りを繰返し朝を迎えた。
もし次回来るなら、宿泊はゆ〜りん館やな。

9:32 コアビバイ
 ↓
9:50 東明橋

いい天気!気温は5℃。

受け付けを済ませて、空いている席に座る。
ボランティアの地元スタッフさんがたくさんいる。
安田侃さん登場!
今日初めて参加する人は、安田侃さんから道具の使い方から、イタリアから切り出された石のことや、ミケランジェロのことや、石に向き合うことや、生き方など教えてもらう。

ちょっとだけ動画。
YouTUBE、32秒
石を選ぶ。
持つ。ずしっと重い。硬い。

玄翁で力強くノミで叩いたら「石は割れるんとちゃううん?」と思ってたけど、不可能やな。そんな硬さやない。ぼくが思い切り玄翁で叩いても、石に弾かれるだけやろう。

さ、行くぞ!生死愛哀。オペラを彫れ。時の移ろいで、心は変わる。それを石に留める。戻れない。

まずはゲンノウとノミに慣れよう。大理石の反発力と向き合う。
手当り次第にノミを当てていく。
うーん、わからん。

恐る恐る、ちょっとずつ道具と石に慣れてくる、ひたすら彫る。

が、途中から見失う。

丸みを目指してのに、元の石の形に引っ張られ、バランスが悪いし、何を目指しているのか、美もない。はぁ、自分のセンスに無さに落ち込む。わからんようになってきた。

笑顔で先生が近づいてきた。「わかんなくなりました」と言うと、にっこり笑って優しく語ってくれた。

「わからくなってどうするか、二種類の人がいる。一旦休むんで考える人と、彫り進みながら考える人。あなたはさっきから休まず彫ってる。あなたは若い。彫って、割れても、なくなっても、それはあなただよ」。

凹んでたぼくには、「見失う」=「それが今の自分。あるがままの自分の心を現してる」ことが、わかってるだけに厳しい言葉やった。自分に直視やからね。でも、だからいい!

うーん、変化のある丸みをつけたい。それがどうもあかん。ぼてっとした石のママや。情けない〜。
YouTUBE、22秒
12時になって昼食休憩。
ランチは、地元のお母さんたちが作ってくれることになっている。

地元で採れたそばの実を使って打たれた、手打ちそば。山菜の天ぷらがのってて、優しい味。これはええわぁ!
おにぎりも地元のお米がふっくらで美味しかった!

 ☆ ☆ ☆

気晴らしに、外へ出た。
うーん、ええ天気ーーーーーー!気持ちええ〜!
15時半で終了、安田侃さんの16時までに片付け撤収や。

わからんまま、「すべてを剥いて、この石本来の姿を知りたい」という思い一心で、ひたすら削った。
しかし「いや、そうやないこの石の形を活かして、石の気持ちに沿うんや」と模様を彫ったり、「いやいや、やっぱりつるつるの丸い形を目指すんや。今からでも間に合う」と思い直したり、迷いまくったままの一日やった。

人は人と思いながら、周りと比べてしまう自分が情けない。あ〜、情けなや。

彫ったほうの欠片。実はそっちに美しさ感じるようになってきた。何も意図していないほうが主なのか?本当の形はそっちなのか?
いや、彫ったほうが意思を表現している?どっちが主?そもそも主副はない?

「点があれば主だよ」。

点は線となり、面となって、いずれ立体の形となる。
生み出す源が「点」。点に奥行きがあれば、異なる次元につながっていく。

サイン会。
バスの時間まで、外をぶらぶら。
日が落ちると急激に気温が寒くなってきた。ユニクロのフリース1枚の薄着のぼくには、さぶいっ!

早よ、バスよ来い。

17:32 アルテピアッツァ

夕陽の大きさがいつも東京で見ているものより、北海道の大地で見るほうがでかい。
今夜は『福よし』。
ここも劇込み!ひっきりなしに持ち帰り客が来て、注文の電話が鳴りっぱなし。今、注文すると1時間と10分後だそうや。

一つ気づいたんが、みんな会話に愛想がない。これは美唄市民気質か?店員だけやなくお客さんもみんな会話が片言な感じ。

いや〜しかしほんま、恐ろしく繁盛しとうな。
なのにオペレーションがめちゃ悪い()!店員さん同士の勘違いとか注文ミスが連発。まるで開業した初日のよう。でもここは銀座にも支店がある、老舗よ。
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きとやん日記

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